シンデレラ奇譚

[ 第9話:偶然を装った必然(3) ]

 取り残されてしまったエリクのお父さんは、正面にあるベッドに腰掛けてにこやかに私を見ている。エリクよりも色素の薄い麦穂のような髪の色は、むしろ私に近い。体躯はほっそりとしていて軍人ではないらしい。顔立ちもエリクには似ておらず、どちらかというと女性的だとおもう。顔立ちや外見は似ていなくても、なんだか犬っぽい雰囲気はエリクに通じるかもしれない。私を見て、好奇心いっぱいに尻尾が振られている……ような気がした。
「お嬢さん、名前は? エリクとはお友達なのかな」
 優しい声音だったけれど、興味津々なのが目を見ればよくわかる。たぶん、エリクが女の子を連れていて嬉しいんだろう。
「セティです。エリクさんとは……仕事上のお付き合いです。あなたはエリクさんのお父上でしょうか?」
 まさかエリクの上司の情人だとは言えず(そもそも情人ですらないしね!)当たり障り無く返すと、朗らかな笑みのまま彼は頷いた。
「ああ。僕は彼の父親でアシオという。……君は、」
 そこで彼は何かを思い出すように言葉を失った。私を見る彼の眼が、さびしそうな色に変わる。私を見ながら、もっと遠いどこかを見つめている。
「どうかしましたか?」
 こんな綺麗な人に見つめられても、困ってしまう。
「いや、君が懐かしい人に似ていたから、つい」
 彼も困ったように笑った。
「懐かしい人、ですか」
「うん。エマっていう、素敵な女性でね。君と目元とか口元がよく似てた」
 エマ。
 その名に私は心当たりがあった。心当たりどころか、たぶんこの世で一番彼女のことを良く知っているし、彼女もまた世界で一番私を知っている。

「それ、私の母です」

 そう言うと、アシオさんは驚きに目を見開いた。「びっくり」と背景に文字が出てきそう。それがやがて泣きそうな顔になって、ゆるゆると目を細めて笑った。
「そうか、娘さんか……似てるはずだね。結婚してたんだ、エマ」
 私は首を振った。
「結婚は、してないです」
 私の否定に、アシオさんが首をかしげる。
「え?」
「母は昔付き合ってた方と、妊娠したのを隠したまま別れたんです。女手ひとつでで私を育てて……3年前に亡くなりました。私の父は、母の幼馴染だったそうです」

 私には父親がいない。それをなぜかと聞いたときに、母が言った。「愛してた人には内緒であなたを生んだの」と。私は内緒にされなきゃいけない子なのかと、幼いながらに傷ついた思い出がある。でも母は「あの人は知らないだけで、きっと知っていたら喜んでくれた」とも「内緒にしたのは母さんのわがままだから、恥じる必要なんて無いのよ」とも言っていた。子供相手なんだから、冗談でも嘘でも良いから「父さんは昔に死んじゃったの」くらい言ってくれれば良いものを、母は正直だった。自分のした選択を悔いている様子はなく、私は父親がいなくても実際寂しい思いをしたことは無い。だから父を探そうとも思わなかったし、母に詳しいことを聞く気も無かった。そして母は私に猛勉強を課して首都の女学校に推薦枠でねじ込むと、病気で逝ってしまった。それが、三年前のことだ。私は恩返しをする前に、母を失った。
 なんだか遠い昔のような気がする。
 ひとり過去にふけっていると、目の前からうめくような声がして私は我に返った。そうだった、この人がいるのをすっかり忘れていた。
 アシオさんは、顔を覆って、背を震わせている。うぐうぐとすするような声までして、なんと、泣いている。大の男が、鼻までたらして顔をぐしゃぐしゃにしている。
 どうやらこの人は母の知り合いで、たぶん母が亡くなったことを知らなかった……ということかな。いまいち状況がわからないんだけど。私、どうしたら良いんだろう。
「あのう」
 なんというか、こんなに泣かれると、私まで悲しくなる。三年も経って、やっと慣れたはずなのに。母がなくなったときにもう涙は出尽くしたと思っていたのに、胸の奥が痛かった。
 椅子から腰をあげて、前かがみのままアシオさんに手を伸ばす。膝からの血はもうとまっていて、乾きかけた傷口が膝を曲げ伸ばししたことによっていびつにゆがんだ。私の呼びかけに顔を上げたアシオさんは「セティ」と私の名を呼ぶ。
 返事をするよりも早く、私は腕をつかまれ、立ち上がった彼の胸の中に閉じ込められた。
「え、ええっ」
 なんでこうなる。突然のこと過ぎて、泣きじゃくる彼を押しのけるのもなんだか不憫でおろおろとしていると、部屋の外から走る足音が聞こえてきて、扉の前でとまった。
 あ、やばい。エリクだ。そう思って、ようやくこの中年男性を押しのけようとしたけれど、ピクリともしない。この細いからだのどこにそんな力が。

 やばい、やばいよ。あなたの息子さん、帰ってきますよ! こんなうら若い娘さん抱きしめてるの見られたら、軽蔑されますよ!

「あのっ」
 慌てて声を出したが、遅かった。扉が開かれて、案の定の絶叫。
「うわああぁ! と、ととと、父さん! 何してるんだよ!」
 ごろごろと包帯やら塗り薬が床に転がった。
 そんな叫ぶエリクに、アシオさんは涙を浮かべつつ、なんとも幸せそうに笑った。鼻も垂れてぐしゃぐしゃだけど、それはそれは素敵な笑みに思えた。頼むから、屈んでそれを私につけるような事態にはならないで欲しい。まだ、彼は私を放す気は無いらしいから危険だ。
 そんな顔面蒼白のエリクと私を見比べて、彼は言った。

「よかったねエリク。君のお姉さんだ」

 その台詞に、私たちはものの見事に固まった。
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