シンデレラ奇譚
[ 第4話:胎動する世界 ]
今日は城下で月に一度の婦人服の大安売り。自分だって友人二人と行きたかったのに、それを「未来の妃様にその様な人込みは危ないから」という理由で、一人取り残されてしまった。
こんな理不尽なことってあるだろうか。妃になんてならないから、そんな護衛はいらないと言っているのに。
兎にも角にもそういうわけで、友人二人も居なくてすることも無い。セティは仕方なく彼女たちが帰ってくるまで城内をぶらつくことにした。考えてみれば、自分はこの城内の構造をよく知らない。
もちろん、ここに一生住むつもりなど無いのでわからなくてもいいのだが、城をじっくりと見ることなんて一生の内にもう無いかもしれない。だから、今のうちにしっかり堪能しておこうという次第だ。
「それにしても――やっぱり、ちょっと冷えるわね」
吹き抜けの冷たい風が、回廊を流れてゆく。ノースリーブのワンピースを着ていたためか、少し肌寒い。セティは日の当たる場所を求め、その先のバラ園へ足を向けた。
「バラ園って、こんなとこにあったのね」
時期がもう遅いためか、薔薇の花はほとんど開ききっている。だが、香りは開花時に劣らずなんとも甘く澄んでいた。大きく深呼吸をして、セティはゆっくりと辺りを見回した。多種多様の薔薇が、それぞれの場所で存在を主張している。
その噂は町に居た頃にもたびたび耳にしていた。せっかく城に居るのだから一度訪れてみたかったのだが、今までずっと時期を逃していた。やはり噂に違わぬ美しい庭園だ。柵にバラを絡ませた門や、噴水を中心に同心円状に広がる垣根。何処も彼処も手入れが行き渡っているためか、雑草も生えていない。
ここは陽射しも柔らかく降り注ぎ、あたたかい。空へ手を伸ばせば、手のひらに温もりが降って来る。
「……ん?」
ふと、右手側の、少し向こうの方を見ると、回廊と庭園の間の傾斜部分……ちょうど庭園を囲う木が茂っている辺りから、にょきっと横たわる足がみえる。セティは恐る恐る近寄って覗き込み、唖然とした。
「……この人何してんのかしら、こんなところで」
そこに横たわっていたのは、紛れも無く、この国の第一王位継承者その人だった。その彼の瞼は伏せられており、穏やかな寝息と共に胸部が上下しているところを見ると、どうやら本当に眠っているらしい。
今更だが、彼はこうして口さえ閉じていれば、目の保養にもなる素敵な男性だ。セティとて、他の一般女性同様、美形は好きだ。思わず、見つめてしまう。
彼の、額にかかる前髪をそっと持ち上げ、溜息を一つ。
「なんでかなぁ」
草の上に投げ出された、濡れたような深い黒髪。無防備な寝顔。服の上からでもわかる精悍な体躯。どこか問題点はないかとよく見てみるが、……一つも、ない。いっそ哀しいくらい、この顔は自分にとって、ストライクゾーン。
セティが王子の寝顔を見つめながら、くぐもった声で悔しそうに唸っていると、
「……見つめてくれるのは嬉しいが、そろそろ起きても良いかい?」
眠っていたはずの王子が、片方の瞼を持ち上げて、チラリとセティを見た。
しばしの硬直。
「あんたいつから起きてっ……?」
「君がわたしの前髪を持ち上げた辺りから、だな」
慌てふためくセティを余所目に、王子はゆっくりと起き上がって、頭に付いた草を払い落とした。そしてあまり抑揚の無い声で言う。
「ほとんどさいしょっからってことじゃない」
セティは恥ずかしさに顔を赤らめながら後ずさった。何たる失態。
「まぁ、そうとも言うね。君から近付くなんて珍しいから、すこし様子見をしていた。……どうしてここへ?」
あれ?
セティは、なんともいえない違和感に疑問を覚えた。
大抵、セティといっしょに居る時の王子は、とっても甘くてイタイ紳士だ。サラリと恥ずかしいことも言うし、スキンシップも欠かさない。いつもなら、こんなときは鬱陶しいほどセティをからかうに決まっている。
だが、今、目の前に居る王子は。
「なんか今日、まとも?」
思わず、言葉に出してしまい、セティははっと口を抑えた。その言葉に王子は目を丸くして、次の瞬間、噴きだした。
「ははっ。……君の目に映る私は、そんなに変な奴なのか」
「少なくとも、まともではないかも」
セティが大真面目にそう言うと、王子はますます笑う。彼の含みの無い笑顔を、初めて見た様な気がする。いつもの人を小ばかにしたような笑みよりも、よっぽど綺麗だ。女の自分から見ても、ある種の嫉妬のようなものを抱いてしまうくらい。
しばらく言葉を失ってしまったが、セティは我に返り、話を摩り替える。
「……あなたこそどうしてここに居るの? まだ仕事残ってるんじゃないの?」
この国の実質的な最高権力者は、既にこの王子となっている。ならば、仕事も多いはずだ。こんなところで昼寝をしていてもいいのだろうか。
王子は首をひねって関節を幾度か鳴らし、苦笑した。
「このところハードでね。今は小休憩……。それにしれも、今日はいつものように逃げないのかい?」
いつの間にやら、セティはすっかり王子の横に腰を落ち着けてしまっていた。いつもよりは、自然な近距離。
「……まぁ、まともに会話が通じる相手なら」
「そう、か。なんだか私も、久しぶりに人間と話をしている気がするな」
ふっと視線が落ちて、王子は疲れたように笑う。
「どういうこと?」
セティは王子の言葉に首をかしげた。王子の周りには、いつも侍従や大臣たちが居る。談笑もするだろうし、時には茶会も開かれる。それなのに、人間と話すのが久しぶりというのは、どういうことなのだろう。
王子は視線を落として、呟く。
「たぶん、君が知らなくていいもいいことだ」
その瞳の遠さが、何故だか落ち着かない気分にさせる。こんな王子を、自分は知らない。
「レイ?」
思わず、名を呼んだ。彼がゆっくりとこちらを向いて、笑う。
「何?」
「え、……あ、なんでもないけど」
言うべきことがあるような気がして、だけれどその方法なんてまるで知らなくて、思わず口篭もる。バラの香りが風に乗ってやってくるばかりで、世界はやけに静かだ。
いつもと同じ笑顔が、こんなにも哀しげに見えるのは何故だろう。
「……あなた」
上手な言葉が見つからない。何の理由も無い、直感しか。
「あなた、さびしいの?」
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