竜の花嫁

竜の花嫁

[ 五:ありえない ]

 翼を打ち抜かれたエドヴァルドは、痛みからなのか、怒りからなのか。普段からでは考えられないほどの大きな咆哮をあげた。そして鋭い眼光でにらみつけたかと思うと、彼らを壁ごと吹き飛ばしてしまった。
 それは正に一瞬。瞬きの間に起きた出来事で、ティアナには声を上げる暇もなかった。城の壁にぽっかりと大きな穴があき、瓦礫と共に彼らが飛ばされてゆく。

「……無事か」
 しばらくして、ようやくエドヴァルドが口をあけた。彼はいつもの落ち着きこそ取り戻していたが、息は荒く、その雄雄しい翼から流れる血は赤かった。ティアナは、自分に覆いかぶさる様に立つ彼の顔を見上げて唇を震わせた。
「な、……何で?」
「言っただろう。お前を守ると。……まぁ、お前からしてみれば迎えを追い返されて迷惑だったかもしれないがな」
 自嘲気味に笑う彼を見て、血の気が引く。
「そ、そんなことっ……」
 ブンブンと首を振り、ティアナは血まみれの翼を見つめた。
「はやく、手当てを」

 そうしなければ、彼が死んでしまう。

 そんなの、いやだ。

 どうしようもない不安さと恐怖に身が竦みそうになった。

「あなたに、死んでほしくない」
 瞳に涙を湛えてティアナは訴えた。顔が真っ青だ。竜は零れ落ちそうな涙を大きな爪でそっと掬い取ると、呆れたように言う。その声音は優しく微笑を含んでいる。
「お前は、変な奴だな。私が死ねば、お前は無事国に帰ることができるというのに。それどころか、私のために涙まで流すなんて」
「だって、あなたは私をかばって……」

 どうして、守ったりしたの。

 ただの人質の娘を

 傷つくことさえ厭わずに。

 守る。だなんて、ただの口約束じゃないか。

 自分を責めようとする彼女を見て、エドヴァルドは小さく首を振る。
「そんなに悲痛な顔をするな。これくらい、私にはたいしたことではない。ほら、もう出血も止まる。わたしのことは気に病むな。そんなことよりも……」
 彼女の頬にその大きな手を添えて、竜は目を細めた。そして、心から安堵したかのような声で呟いた。

「お前が無事で、うれしい」と

 その言葉に、大きく、彼女の心臓が跳ねた。

 痛いほど、確かに。

「……どうした、ティアナ。顔が赤い。……どこか調子が悪いのか」
 いくら血は止まったからとはいえ、自分の傷のほうがよっぽど重症だというのに。どうして、そんな優しい声でこちらを心配したりするんだろう。
「な、なんでもないの。それより、あなたの手当てをしなきゃ」
 ティアナは火照る顔を隠すようにくるりと向きを変えると、「誰か呼んでくる」と言ってその部屋を駆け出した。

(これ、何なの)

 ますます激しくなる鼓動を、疾走のせいにしてしまいたかった。

(こんなの、嘘よ)

 この動揺の答えを、出そうとして、考えるのを止めた。出かけた答えに、蓋をした。

(だって、こんなの)

 一度その感情に名をつけてしまったら、もう頭から離れられなくなりそうで。
 だから、必死に、その存在を、可能性を、見てみぬふりをする。

「だってこんなの、ありえない」

 そう、これはありえないはずの感情だったから。

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