竜の花嫁

竜の花嫁

[ 三:意外な事実 ]

 姫がこの城へ連れ去られ、幾日かが過ぎた。この城は母国のものと比べればいささか小さかったが、ドラゴンが生活するためか天井はやたらと高い。基本的に開け閉めの必要なノブ付の扉はなくて、アーチ状になった入り口に幕がたれ下げてある。しかしまったく人間用の部屋がないわけではなく、ティアナのあてがわれた部屋には大きい木の扉があり、ベッドや家具、火は入れていないが暖炉もある。人質としての生活にはまったく不自由がない。衣食住を保障されているどころか、城内なら出歩くことが許されている。それどころか、ドラゴンの許可さえあれば城下に行っても良いと言う。はっきり言って、母国にいたころの待遇よりもよほど快適で自由である。それでも、気分は晴れない。
 彼女はいつぞやと同じく頬杖をついて窓の向こうを見つめていた。
 空は、どの国から見ても青いままそこに広がっている。
「元気がなさそうだな」
 大きな扉が開いて、身をかがめながらドラゴンが入ってくる。その言葉に、ティアナは少し苛立った声で返事を返す。
「攫われた異国の地ですもの。母国の空気を吸うことができれば、元気も出ましょうが」
 嫌味だとはわかっている。そう聞こえるように言ったのだから。不満を隠す気はないし、取り繕うとも思わなかった。いくら快適な生活を与えられようとも、ほだされてはいけない。……いけないのだが。
「……わたしの失言だった。すまない」
(あぁ、まただ)
 生意気を言うなと怒ればいいものを、竜は生真面目に頭を下げてしまう。ここにきてから、ずっとこんな感じなのだ。ティアナが挑発して駆け引きをしようにも、まったく手ごたえがない。ティアナが何を言っても、ドラゴンは言い訳もせずにただ誠実に謝るだけ。そして、「もうしばらく我慢してくれ」と。
 いくら誘拐犯だとはいえ、彼が悪人でないことをティアナは知ってしまっている。それも初期の段階で。ほだされぬようにとずっと悪態をついていたが、さすがに、いたたまれない。竜の顔に手を添えて、ティアナは観念したようにつぶやいた。
「……ごめんなさい。今のは言葉のあやです。ちょっと苛だっていただけ。どうか頭を上げてください」
 その言葉に竜は、頭を垂らしたままゆっくりと瞼を持ち上げると、「そうか」とだけ呟いて、でも上体は起こさずに上目遣いでじっとティアナの瞳を見据えた。
 この瞳にも慣れた。もう恐ろしいとは思わない。むしろ、澄んできれいだとさえ思う。

「外に行こう。母国の空気は吸わせてやれないが、いくらか気分も晴れる」

 そして気付けば、ティアナは竜の背中の上にいた。彼が大きな窓を開け放つ。
「私の角に掴まれ。極力スピードは落とすが、それでも人間にはきついだろう」
 おとぎ話だっただろうか。いつだったか本で読んだことがある。「ドラゴンの角は、力の源である」と。その大切な角に軽々と自分が触っていいものなのか。逡巡すると、竜がこちらを見て首を傾げた。
「どうした?」
 あまりにも彼が平然と言うので、迷っているこちらが変なのだろうかと思う。ティアナは恐る恐る角を握った。
 それを確認して、竜がぐっとひざを曲げる。
「いくぞ」
 竜が勢いをつけてひざをのばすと、それだけで体が宙に浮き上がった。思わずぎゅっと目を閉じてしまう。彼自身がなるべく体を水平に保っていてくれるため、振り落とされることはなかったが、浮遊感に胃の縮みあがる思いがした。

「だいじょうぶだ。私の角を、しっかりにぎって目を開けてみろ」

 優しい声で竜が言う。握り締めてそっと目を開けると、あざやかな景色が広がっていた。遠い先を見れば森と空の境目が線のようになっているのが見て取れる。そのもっと向こうには別の国が広がっていて、町がある場所には建物がかたまっているのもわかる。それだけならば、城から見ていた景色と大差ない。
 ちがうのは、移動しているということ。眼下で、森が茂り、次に川が走り、やがて開けた草原になり、さいごに町があらわれる。
「どうだ空はからの眺めは。いいだろう」
 少し楽しそうに、どこか得意げに竜が言った。

 ……見下ろした国は、うわさに聞いていたのとは違った。

「魔物がはびこっている」といったのは誰だったろう。ここに、そんな悪しき世界はない。人間と同じように、もしくはそれ以上の平和さで、魔族と呼ばれるものたちが生活していた。上空を旋回する彼を見てはしゃぐ子供たち。香るパンの匂い、柔らかく注ぐ太陽の光。上空から見ても、そこは暖かな場所。
「こんな国だったなんて、知らなかったわ」
 頬を撫でる風さえ、優しく思えた。ティアナの言葉を聞いて、竜が幸せそうに目を細めて頷いた。
「この地には、魔族しか居ない。人間に迫害されぬように、皆この国に集まってくる」
「そう。だから、この国に人間を入れたくないのね」
「そうだ。だからこの平和な国を、攻められるわけにはいかない」

 あぁ、このドラゴンは王なのだ。

 国民を背に、生きる者。城に巣食う竜だなんて、とんでもない。 彼こそ、誰よりも国民を憂い、愛している。

 ティアナは唐突に悟り、そして、決めた。
「わたしも、一国の姫。民の平穏を願う気持ちはわかります」

 竜がこちらを見上げた。

「自分の意思で、あなたに協力しましょう。戦はわたしも避けたいから」
「姫」
 ティアナはちょうど彼の首の上に乗っているので、彼の顔が間近に見えた。目が見開かれて丸くなっている。ティアナの進言に驚いているらしい。その瞳がきれいで、驚く様子がなぜかかわいく思えて、ティアナは微笑んだ。
 頷いて、彼女は続ける。
「元はと言えば、私の父のせいですし。えっと」
 彼の名を呼ぼうとして、ふと、自分がその名を知らないことに気付く。それを察したのか、彼が口を開く。
「エドヴァルドだ。好きに呼んでくれ」
「エドヴァルド……。いい名ね」
 その名を何度も反芻させて、ティアナは微笑む。
「よろしく。エドヴァルド。私のことは、ティアナと」
「あぁ、ありがとう。ティアナ」
「わたし、この国、好きになれそう」
 竜の目がやわらかに細くなる。うれしいのか、ぐるる、と小さく喉が鳴った。まるで猫のように。
 その姿が、ギャップが、可愛いと思えてしまう。
 この国の王である彼自身に対しても、わだかまりを溶いていける。そんな気がした。

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