竜の花嫁

[ 二:お前を守る ]

 ドラゴンは王城の壁をたやすく破り、ティアナには悲鳴を上げる隙さえなかった。
 両方の前足で横抱きにされ空に浮き上がったところまでは覚えているが、あまりのことに気を失っていたらしい。気づけばティアナはこのドラゴンに連れ去られていた。ドラゴンがいるということはつまり、ここはどうやら隣国の城らしい。ティアナは城の中腹にある、広い見張り場のようなところに降ろされた。天井はなく空が開けていて、人間の背丈程度の塀にぐるりと囲まれている。その塀のてっぺんには杭が上向きに刺さっていて侵入者を阻むようになっている。一定の間隔で窓のような穴が開いているが、おそらく矢を射たり外を見たりするための覗き穴だろう。どうやら、王族の居城というよりは、要塞としての色が濃いように思う。
 ドラゴンの手を離れると、ティアナはドラゴンと目を合わせたまま、じり、じり、と少しずつ間合いを取るように後ずさった。いくらもしないうちに、壁にぶつかる。横の穴から城の概観をうかがうと、正面に主塔らしい大きな塔が見えた。不要な装飾の一切を削ったシンプルなつくりをしている。下を見ると渓流が流れていて、出入りするには跳ね橋を降ろさなければいけないだろう。ティアナ一人があがいて逃げ出すことは無理そうだ。
「危害は、加えない」
 目の前のドラゴンが言う。低く、腹の底に響く声だ。脅すつもりは無いようだが、どうしてもティアナの体はこわばった。こんな大きな生き物を、ティアナは見たことが無い。まして、ドラゴンなど神話の生き物だ。大きなつめ、鋼のようなうろこに包まれたからだ、鋭い牙。恐ろしくもあり、不思議と神々しくも思う。ドラゴンが、一歩、足を踏み出した。ティアナは気を保とうとするが、どうしても緊張で足が震えてしまう。
「突然の無礼を赦してくれ。だが、時間がなかった。お前をさらうのが一番早かった」
 突然、自分をここまで連れ去ってきたドラゴンが、深々と頭を下げた。予想しなかった事態に、ティアナは言葉が出ない。ドラゴンはわずかに頭を上げて、ティアナと目線を合わせると、まっすぐにこちらを見つめてきた。
「お前も知ってのとおりだが、私はお前の国に狙われている。防ぐだけなら、お前の国を血の海にすれば話が早いが、私とてその様な真似はしたくない。だから、国王がへたに手出しできぬように人質としてお前を攫った」
 父の言っていたドラゴンとは、彼のことらしい。ティアナは竜の方をしっかりと見つめると、声が震えないように心で念じながら口をあけた。
「そんな……そんなことをしても、父は侵攻を止めません。一度だってこんなことに屈していたら、国の威厳が保てないもの」
 そう、ここで屈してしまえば母国はたった一匹の竜にひれ伏したと思われてしまう。姫を人質にすれば言うことを聞くなどと思われてはいけない。小国は、わずかの弱みを見せればすぐに他の国から攻められる。それならばいっそのこと、姫の身を犠牲にこの国に攻め入り、竜を倒した方が良策とされるかもしれない。
 ティアナの命は今、見放されるべきだ。
「私は、きっと人質には適しません。こんなことしたって、攻め入る理由になるだけ。私が死に、ただこの国が攻められるだけだわ」
 竜はその言葉に、小さく首を横に降った。
「そんなに自分を軽視しない方がいい……お前は国の宝といわれる娘。それをいとも簡単に諦めるとも思えない。それに、私はお前を殺さない。たとえこの国が攻め入られ戦となろうとも……」
 そこまで言うと、竜は先ほどよりも深く、地面に付きそうなほど頭をたれ下げた。
「そのときは、私がお前を守る」

まるで、忠誠を誓う騎士のように。見つめられると縛られたように体が動かなくなる。
「命をかけて、お前を守ろう」

誘拐犯が、攫ってきた姫を、守る?

 これには、流石に言葉を失った。彼は、人間ではない。それでも、ティアナにはその言葉で頬が熱くなるのを止められない。人間の男性にすら、そんなこと言われたこともないのに。この竜ときたら、いたって真面目な声でそんなことを言う。
「誘拐犯=悪人」これが常識ではないのか。
 誘拐犯に、「お前を守る」だなどと宣言された人質が、いくらほど居るのか。

 もう、ここまで言われたら、首を縦に振るしかできなかった。

 ドラゴンが、ほっとしたように、やさしく目元を細めた。

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