私が選んだ世界
目が覚めると、そこは私の部屋だった。当たり前のようにそこには静寂が寝そべっていて、当たり前のように私もベッドの中にいた。
もちろん、目を見張るような金の装飾が施された蝋燭立ても、薪がくべられている暖炉も、ここには、何一つ無い。
ベッドから身を起こして、私は半ば夢遊病者のようにふらふらと机の上の日めくりカレンダーへ歩み寄ると、その一枚を引きちぎった。

十一月五日。「あの日」から、一日しかたっていない。

あの世界に落とされて、無我夢中で駆け抜けた時間は、確かに今思えば短かったかもしれない。けれど、還ってきてみればたった一日だなんて。

……まるで、夢見たい?

「ちがう、夢なんかじゃない」

そう自分に言い聞かせるように呟くものの、……昨日までの、あの日々の記憶が、こうしている間にも急速に色を失っていく。砂時計の砂が落ちていくように、止まることなくさらさらと、確実に、私の中から「彼」が消えていってしまうのがわかった。
彼の存在そのものが、浅いまどろみの夢のように酷く曖昧なものにかわっていってしまう。

「ちがう、夢なんかじゃない」

私をかき抱いたあの腕も、耳元で囁かれたあの声も、全部本物。

……本物の、はずだ。

「やめて、いかないで、持ってかないで」

彼の……ティータの金の髪、私をかばって負った背中の傷、口付けの感触。
全てが、奪われていくような気がして全身が震えた。

確かに、私があの世界に落ちたことは、どんな理由があったにせよ、本来ならあってはならなかったことかもしれない。世界がそのねじれのつじつまを合わせるために、こうして私の記憶を是正しているのかもしれない。
だけれど、例えこの忘却が世界の仕組んだものだとしても。

「忘れたくないの。いつまでも、一緒に居たいの」

「アレは夢だった」と、そう自分の心を疑う声が増大していくのが、憎くて、恨めしくて、哀しかった。だからこそ、ティータに逢いたくて、たまらない。逢って、抱きしめて、存在を確かめたい。

「……あいたい」

この世界に還る事が、私の全ての目的だった。それが果たされた、今。
私は、……背を向けたはずの、もう一つの世界を求めている。

両方手に入れることができないなんて、それはあまりにも明白で、いまさら問うまでも無いことだった。
そして、その世界に居る彼と出会うために捨てねばならないものも、同じくらいわかりきっている。

私はいつのまにか挿げ替えられてあったパジャマを、制服に着替えなおすと、ゆっくり自室を出た。
隣の寝室には、両親とまだ二歳の妹がそれぞれぐっすりと眠っている。家族の顔を見るのは、実に、二年ぶりだった。
きっと、皆、今日も家族四人のそれまでと変わらない日が始まると、何の疑いも無く信じている。

何の不満もない満ち足りた日々をここで過ごした。
愛しい家族であることに間違いない。
それなのに私は、ソレを捨ててしまう。たった一人の、どうしようもない男に逢いたいと、たったそれだけで。

両親の額と、妹の頬にキスをすると、思わず涙がこぼれた。

謝ることで赦されるわけも無い。
謝ることで、少しでも赦された気になってはいけない。
だから、私には謝ることすらできない。

ただ、ありがとう。と
いままで、支えてくれて。
いままで、愛してくれて。

私を、生んでくれて。

だから、私はティータと出会えたから。



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