シンデレラ奇譚
[ 第5話:魔女の契約(8) ]
わたしは上半身が180度も回るようなびっくり人間じゃない。馬をまたいでるのに真後ろを向けるわけがない。
90度ほどの半身の姿勢で、顔だけ王子を見上げた。……で、この暴行に対して文句をいうつもりだったん……だけど。
「何か、されたのか」
今日、初めてぶつかる視線。怒りをたたえた眼差しがまっすぐ向けられて思わず言葉が詰まった。
何で私が怒られてるの。私被害者なのに。
「……何も、されてない、けど」
「けど?」
視線をそらすことができない。この目に殺されそう。甘い意味の比喩なんかではなくて、蛇に睨まれたかえるは、もしかしたらこんな気持ちなのかもしれない。
そして、やっとしぼり出せた言葉は
「その目、こわい」
その台詞に、王子は何も言わずに目を丸くした。
「ぁ」
……やばっ、つい正直に言ってしまった。周囲ドン引き? むしろ王子への不敬罪確定?
「今のは事故、事故なのよ。むしろ正当防衛!」
だって、殺されるかと思ったから! とは流石に言えないけれど、我に返った私は王子の目力から逃げるように視線をふいぃっと泳がした。いかんいかん、逃げ場がない。大ピンチ私。肩をつかまれているから、前に向き直ることもできない。
しかし、聞こえてきたのは、喉を震わせるような笑い声。
「……こわい、か。それはすまないことをしたね」
そっと視線をレイに戻せば、レイは拳を唇に当てて笑いを堪えている。それはわたしの不躾な言葉に対してというよりは、どちらかといえば自嘲のような。
そして、肩の手がそっと離された代わりに、今度は後ろからぎゅっと抱きしめられてしまった。王子の腕は私の腕の上から回されていて、全く身動きが取れない。
うわ、周りの兵士さんはいきなりのラブシーンに超顔背けてる。「しらんぷり」って正にこういう時にふさわしい言葉だったのか……私としては、見てもいいから助けてほしい。
あと何度も言うけど、ここ馬の上なんだってば。両手離しは、キケンっ。
私は声にならない叫びを胸のうちで発しながら必死に握りこぶしを抑えていた。
落ち着け自分、殴っちゃ駄目だ。たとえ王子が赦しても今度こそ周りに逮捕される。王子の気が済むのを待つんだ。だから鎮まれ動悸と殺意。
わたしの葛藤もそっちのけ、王子はわたしの耳元でひとりごちる。
そう、みみもとで!
「そうか、怖いと言われてしまうほど、必死な目になっているとはな。ますます醜態だ」
「っ」
その言葉が発せられた瞬間、全身に鳥肌が立ち、私は震いあがって縮こまった。おもわずぎゅっと目をつむってしまう。
……こんのばかものっ、耳は、だめだと、あれほどっ!
私が震える様子が後ろからもわかるようで、全てを悟った王子の笑う声が聞こえた。
「……あぁ、そうか」と。
そして、やはり耳元で。
「セティは、耳が弱かったな」
だったらなんで離れないの。この、レイ改めヘンジン・クサレ・スケコマシめ。……改名させてやろうかしら。
王子はわたしの痴態をしっかりたっぷり楽しむと、ようやく抱擁をといた。そして、こんどはやけに穏やかな声で私に問う。
「ところで、その上着は誰のかな」
「は?」
「その、男物の上着は……だれの?」
「……」
男物の単語をやけに強調する王子。その背後には、笑顔なのに黒い靄(もや)すら見える。……エリク、どうしよう。私が本当のことを言ったら、君は絶対手にかけられてしまう。もちろん手段は王子の選び放題。それは避けたい。
「ええと、うん、ほら、クロエさんが!」
「クロエの家から出るとき君はドレスだけだった」
間髪おかずそう言う王子は、この森には似合わないようなすがすがしく晴れた笑顔。いつの間にやら馬も歩みを止めている。
「見てたんかい」
私は思わず王子を睨んだ。あれだけ私を無視していたくせに、と。
たとえ好きでも何でもない相手であっても、無視されれば普通の人間は傷つく。むっとした声の私に、王子はちょっと苦笑した。
「一応、任務中だったからな。……あの時、君と目を合わせていたら、外聞もなく君を抱きしめてしまう気がしたから」
苦笑しながらも寒々しい台詞をサラリと吐く王子。恥を知れ、恥を。しかも、さっきまでの「ぎゅー」がその外聞を考慮した結果だというなら、そんな外聞、どぶにでも捨ててしまえばいいと思う。新しい外聞をこさえるべきだ。
王子もそれに気付いたらしく、
「察しのとおり、結局抑えられなかったのだが」
と言って、また「ぎゅー」再開。くそ、開き直ったな! そして再び顔をそむける兵士さんたち。王子それやめろ、いえ、やめてください。恥ずかしいっていうか、恥ずかしくないっていうか、……そりゃもう盛大に恥ずかしいんですけど。
……しかし王子、こんだけ脱線しても最初の問題の内容はしっかり覚えていらっしゃった。抱きしめながらも、私にかけられた上着の肩口をちょいちょい、と上にひっぱりながら
「……で、これはだれの?」と。
耳元で、超優しく、かつ超恐ろしく脅されている私。教えなきゃ何されるかわからない。怖さに耳元のくすぐったさを感じる余裕すらなくなる。
うらみがましい男だな、ちくしょう。私は義理堅い人間なんだ。親切にしてくれたエリクを売ることなんてできない。
「空から、……降ってきた、の、です」
我ながら苦し過ぎる言い訳。もしこんな言い訳を信じる人がいたら、その人は病院行った方がいいかもしれない。
王子はわたしの回答を聞くと、優雅に笑ってある一点を指差した。
「じゃあ彼は、どうして上着を着ていないんだい?」
王子が指差したのは、茶髪で翠眼の青年――エリク。ごめんエリク……わたしが寒がったばっかりに!! わたしの馬鹿、もやしっ子!
指差されたエリクは肩を強張らせて、さっと立礼。緊張を含んだ声で事の次第を報告する。
全てを聞き終えて、王子はこの上なく優しく微笑んだ。そりゃあもう老若男女問わず落としちゃうような笑み。だが、私にはやっぱり黒いもやが見える。
「そうか、寒がっていたセティに……それはありがとう。エリクといったな、君は明日から私に付いてくれ」
「は、はいっ」
エリクのすごい嬉しそうな声。でもエリク、ごめん。ほんとにごめん。昇進かもしれないけど、それは荊の道。……間違いなく。
私は申し訳なさと自分の愚かさに泣きたくなった。
もしかして私、この人がいる限り男友達すらできないかもしれない。
この際、魔女でも魔法でもなんでもいい。誰か私を助けて。
「こんなの、もういや……」
私 は力なく呟いた。
第五話 了
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