しくじった、と思ったときは後の祭り。

災い転じて福となす

「クソ……ッ」
 忌々しく舌打ちをするも、それでこの状況が改善されるわけでもなかった。カオルは上方を見上げて自分の失態を恨んだ。

 話は数時間前にさかのぼる。

 カオルは果実を採りに一人で森の中にいた。もうここへ漂着して数週間になるし、よほど奥へ行かなければ大丈夫だろう、とふんでいたのが甘かった。いつもと違う場所に果実を見つけ、足元を見るのをおろそかにしていたのだと思う。藪をかき分け、ようやく海が見えたのも束の間、一歩踏み出したところに大地はなかった。
 つまり、崖。
「足を……くじいたか」
 落ちたキョリがさほど高くなくて、正直助かった。ざっと見て5メートルも無いだろう。
 カオルは眼前に広がる海に、ため息を漏らした。唯一の救いは、足場を確保する必要がないと言うことくらいだろうか。よっぽど暴れさえしなければ、落ちることはないだろう。その程度の広さはあった。問題は、「この場所を皆が知らない」ということだ。発見が遅くなるということは目に見えていた。
 立っていても仕方ないので、カオルはその場にしゃがみ込むと、足を水平線に向かって伸ばし、背を岩肌に預けた。ごつごつするが、我慢できないほどでもない。
 もし、これで落ちたのが自分ではなくハワードなら、きっと真っ先に「パパ」と叫んで、その声を頼りに皆が探せることだろう。だが自分はそんな大声を出してまで助かりたいとは思えなかった。
 恥ずかしいうんぬんではなく、大声を出すことが億劫だった。

 ……寝るか。

 なぜそんな答えに行き着くのか。と誰かが突っ込みそうな考えが浮かんだが、他にすることもないし、ただ起きていて頭を使うのは体力を消耗させるだけだ。外敵が来たら反射で起きるだろうし、ここにそんな生き物が落ちてくることも考えにくい。
 心配しているであろう皆には悪いが、こういうときは何も考えないで寝てしまった方が得策だ。カオルは瞼を落とし、岸壁を打ち付ける波の音を聞きながら眠りについた。

「ん……」
 どれくらい、眠ったものか。カオルは肩にかかる重みに目を覚ました。
「……」
 一体、どういう状況になっているのか皆目見当がつかない。自分に寄り添うようにして眠っているのは、紛れもなく、よく見知った少女。
「ルナ」
 名を呼ぶと、少女は「ん、」と小さくうめいた。
(まさかこいつも落ちたのか?)
 ありえなくはないが、それでも普通は自分を起こすだろう。落ちて気絶したという風でもない。ますますわけがわからない。
「ルナ」
 もう一度、名を呼ぶ。幸せそうに熟睡している少女の瞼が動いた。こんなに無防備に男の隣で寝ていいものかと思う。もちろん、こんなところでそういった気になるわけではないが、曲がり曲がっても自分が年頃の男であることに変わりない。
「ルナ」
 三度目に少女の名を呼ぶと、いきなり彼女の目が開いたので、むしろこちらが驚いた。
「わぁ!!」
 大きく奇声を上げて飛びのいたルナの顔が赤い。三度も呼ばれて、ようやく自分が少年の肩にもたれ掛かっていることに気づいたのだろう。普段はしっかりしているが、やはり年相応に抜けているところも多い。
「か、カオル起きたんだ」
 何故か少女は正座をしたまま、顔を掻く。照れ隠しの典型的なパターンだ。
「あぁ、今起きた。……どうして寝てた」
「最初は、起こそうと思ったんだけど」
 ……話が微妙にかみ合っていないのは俺の気のせいか?
「カオルの寝顔なんてあんまり見れるもんじゃないでしょ? ついつい……」
 観察した挙句、自分も眠ってしまったのか。呆れた捜索隊だ。
「でも、探しに来てびっくりしたのよ。上から見るとカオル死んでる様に見えたんだから!」
 まぁ、頭を垂れ下げて眠っていたのだからそう見えなくもないが。それでも、あんまりな早とちりではないだろうか。決して口には出さなかったが、カオルは心の中でため息をついた。
「皆には伝えたのか。俺たちがここに居ること」
「……ぁ」
 シュルルルル、とルナが小さくなった。やはりというかなんというか、とにかく未報告らしい。
 もう日が傾き始めている。今ごろ、皆心配しているのと同様に、ハワードとチャコ辺りがルナが帰ってこないことに、よからぬ空想に翼を生やして騒いでいるに違いない。弁解するのも本当のことを言うのもかなり面倒くさい。
 無言で立ち上がり、服に着いた砂を払いとる。ちょうど足の痛みも引いたようだ。クニ、と足首を曲げてそれを確かめた。そして小さくなっているルナの手を取り、引っ張る。
「帰るぞ」
「ぇ? 登れるの、これ」
 ルナは立ち上がり、崖を見上げた。
「俺は落ちて足をくじいてただけだ。……登れないのに降りてきたのか」
「だ、だって。カオルが死んじゃったのかと思って、ついつい……」
 また「ついつい」か。本当に他人の心配ばかりする少女だ。
「先に俺が上る。同じ足場をつかって登って来い」
 多少、人よりも力に覚えがあると言っても、さすがに同年代の少女を負ぶって登る自信はない。ここはルナ本人の根性に任せるより仕方ないだろう。
「わかった」
 案の定、少女も力強く頷いた。

 なるべく、易しいところを選んで登るように努めた。男女では腕力の差も歴然、無理をさせれば落ちるだろう。
「……違う、その上に手をかけろ」
「あ、そっか」
 時々下を見て少女に指示を出す。少女は慎重に、手足を動かした。自分も彼女を焦らせないように、極力ゆっくり登ることにした。
 そして、時間こそかかったものの無事に登りきることに成功した。自分にしてみれば造作もないことだったが、少女にはそうでないらしく、地面に手をつき肩で息をしている。
 カオルは、少女に背を向けてでスッとしゃがみ込んだ。
「……いいの?」
 コクリ、と頷く。ルナは恐る恐る彼の肩に手をかけ、彼の背中に体を預ける。グン、と彼は彼女を背負ったまま立ち上がり、もと来た道を引き返し始めた。早くしなければ、本当に日が沈んでしまう。
「助けに来た筈なのになぁ。助けられちゃったね」
 ルナが舌を出して呟いた。
「……」
「でも、ホントにびっくりしたのよ。変なところに果物が落ちてるなぁ、と思って下を見たら、カオルがあんなところで死んでるんだもの」
「死んでない」
 勝手に殺さないでくれ。
「それにしても意外だなぁ。カオルだったら気配ですぐに起きそうなのに」
「……」
 そういえば、そうだ。普通なら人の気配で起きるはずなのに。気づかなかった……なんて。
「よっぽど疲れてたんだね」
「いや、違う」
「え?」
「……お前には、気を張る必要がないから。近くに居ても気にしないでそのまま寝てしまったんだと思う」
 だいぶ、自分も丸くなったものだ。と思わず苦笑した。

 暗くなっててよかった、とルナは胸を下ろす。彼の言葉には何の他意もないのだろうけれど、それでもたぶん、自分の顔は赤くなっているだろう。
 気を張る必要がないってことはつまり、心を許してるってことで……。大げさに言えば、落ち着くともいえる。
 そう思うと、ますます熱が上がる。密接した身体から、自分の心臓の音が彼に聞こえてしまうのではないかと少し不安になった。
「おい」
「は、はいっ」
 思わず、力いっぱい返事をしてしまった。そんな少女をいぶかしみながらも少年はまっすぐ前を指差す。
「……着いたぞ」
 向こうを見れば、みんなが家の前でルナたちの帰りを待っている。
「あ、皆だ! おーい!!」
 彼の背の上で、ルナは体を起こすと大きく手を振った。誰かがその声に振り向き、そして皆が走ってくる。中には数名、微妙な笑みを浮かべて。
「なんやルナ遅かったやないか。カオル見つけたらすぐに報告する約束やろ? なにしてたーん?」
 どこぞの関西人さながらにチャコが言った。
 純粋に心配してくれた者も居るけれど、さすがに「カオルは強い」という前提ができているために、皆、心にいくらかの余裕があるのだ。
「べつに何もないわよっ」
 ルナは顔を赤くしてチャコに弁解する。せめて背中から降りてからそういうことはして欲しいものだ。この状態でそんなことを言っても煽るだけだろう。
 でも、確かに感じる背中の温もりが、決して嫌ものではなくて、むしろ心地いいとも感じる。
「か、カオルも何とか言ってよ!」
「……」
「カオル?」
「……ルナ、重い」
 皮肉めいた笑みで意地悪くカオルがそういうと、周りに爆笑の渦が巻き起こる。
 背中の上のルナが、顔を真っ赤にしてカオルの頭を叩いた。

好き好き言うよりは、友達以上恋人未満な関係がいい。
でもカオルはルナに執着してるといい。