弱き者

 雨が、降っていた。決して激しくはなく……霧雨、と呼んで支障ない雨。女は傘をさし、薄暗い空の下を急ぎ足で家路をたどっていた。
 女の名は「要」という。べつに名がどうというわけでもないのだが、とりあえず彼女は要という名だった。普通の人ならば、要という名を聞けば「あぁ、」と彼女の事を思い出すだろう。彼女は元・ポケモンマスターだった。元ということは、……当たり前のことだが、今は彼女がそれでないということ。かといって、彼女は挑戦者に負けたわけでもない。
 彼女はその称号を放棄したのだ。そんな異例のリーグ優勝者に、人々は二つ名を与えた。

「一瞬のポケモンマスター」それが彼女。

 ふと、要は足を止めた。
「ガーディ」
 見た目はどこも犬と変わらぬポケモン。その性格もさながら犬で忠誠心が強く勇敢だ。警察犬として訓練されるものも多い。
 別に珍しいポケモンではない。問題は、そのガーディが座っている場所。
「……主人が、死んだのか?」
 要はそろりと近づき、雨に濡れたガーディの頭をなでる。いったいいつからそこに居たのだろう。まるで体温を感じない。
 ここは町外れの小さな墓地。夜になっても幽霊ポケモンすらでてこないような、小さな墓地。
「ここに居ても、仕方ないだろう? 死んだものは、生き返ったりはしないよ」
 ピクリとも動かぬガーディに言い、要はひざを折る。墓はまだ新しい。
「主人に、家族は居なかったのか?」
 やっと、ガーディの方がこわばり、震えた。それは否定のしるし。
「……捨てられたのか。おまえは」
 一人身だった主人が死に、その後主人の縁者に捨てられるポケモンは珍しくない。まして、こんな年老いたガーディ。世話をする事すら億劫だったのだろう。だから……すてた。
「野良にはなれないな、おまえでは」
 若かったとしても、このガーディには無理だ。直感で、彼女にはそれがわかる。このポケモンは世間で言う「弱い」ポケモンだ。それも捨てられた原因の一つなのだろう。
 そして、弱い彼らは、トレーナーが操るポケモンの経験値として扱われる。
「どうして、こうなんだろうな」
 要は誰にでもなく呟く。
「強さばかり、みな求めて」
 彼らとて、戦うために生まれてきたわけではないのに。
「強くないものは、見向きもされないなんて」
 強い、というだけで誉められるポケモン。弱い、というだけで傷つけられるポケモン。
「理不尽すぎるね」 
 要もつい数年前までは、最強を目指していた。信頼するパートナー達を連れ、最強と謳われる称号を手にした。そのときの充実感、高揚、なのに……それを上回る空虚な気持ち。
 傷つけて、押し付けて、戦わせて。それを当たり前だと、それを幸福だと思わせる。どうして人間に、彼らを傷つけあわす権利がある?
 誰かが「ポケモンは友達だ」といっていた。じゃぁ、どうして戦わせるのか。どうして友をわざわざ傷つけさせたりするんだろう。ポケモンは優しい生き物だ。例え強大な力を持っていても、自分のマスターに攻撃はしない。彼らは、自分たちだけでは何も出来ぬひ弱な人間を友だと思っているから。
「なのに。私たちは」
 綺麗事ばかり並べて、建前ばかり並べて。
「結果的に傷つけて」
 ときに、それが……同じ種類のポケモンであっても戦わせる。
 よく考えれば、非情な事だ。

 だから、要は称号を放棄した。

「ガーディ。おまえも来るかい」

 要の家には、かつていくつもの戦いを共に駆け抜けてきた友が待っている。その彼らが、「誰かと戦いたい」と願うのなら要は迷うことなくその願いを聞いてやろう。
 だけどもう、自分から誰かとバトルしたいという思いはない。
 静かに暮らせれば、彼らと楽しく過ごせるのなら、それでいい。

「おいで、暖かい寝場所と食事くらいはちゃんとあげるから」

 また一人、「弱い」と世間から馬鹿にされるものが仲間となる。

「弱いのと、無力は……違うのにね」

 要はガーディを抱き上げ家路を急ぐ。

 もうすぐ、雨も上がるだろう。

ガーディが大好きなんです。