どんなに叩かれようが、痛みはない
どんなに走ろうが、疲れもない
楽な身体だと、思うかい?
だけれど僕は
豊かに咲き誇る、花の匂いも
草原を吹き抜ける風さえ感じることができない
それでも、
倖せな身体だと、思うかい?

INSOMNIA

 その日の夜は、いつもよりも少し贅沢で、夜行列車のふかふかのベッドに身を休めていた。
 いつまでも飽きることなく「寝る子は育つ」という言葉を信じている少年は、言葉通りに眠ろうとはしているものの、本ばかりに気がいってしまい、鎧の弟を傍らにうとうとしていた。
 ベッドの横に置いてあるランプには光が漏れないよう布が被せてあったが、ちょうど一筋だけ布の隙間からこちらの方に逃げ出してきている。
 眼を見張るばかりの金髪は、三つ編みをほどいたために心なしかウェーブがかかっていた。人が見れば少女にも見えたかもしれない。

「兄さん」
 禁忌を犯した代償に身体を支払い、魂のみの身体になった弟。彼は機械独特のきしむ音を立てながら、むくりと起き上がった。
「いつまで起きてるつもりなの」
「なんだ、アル。起きてたのか」
 もしかして、眩しかったか。と兄は呟いて本を閉じた。
「そんなわけじゃないけど……。あんまり無理すると、風邪をひくよ」
「だーいじょうぶだって。なんたって、世にも名高いエドワード=エルリック様だぜ? そんなことより、俺に構わずさっさと寝ろよ。明日もあるんだ、疲れてたら動けないからな」
 エドはランプの明かりを消して、「ケケケ」と茶化すように笑った。
「じゃ、おやすみ。アル」
「うん」
 しばらくして、片方のベッドからは規則正しい少年の寝息が聞こえてきた。やっと、兄が眠ったらしい。

アルは、月明かりでぼんやりと見える兄の輪郭を見つめて、呟いた。
「心配しなくても大丈夫だよ、僕は疲れないし、眠れないから」
人は、疲れるから眠る。エネルギーを蓄えるために、眠る。

疲労を感じぬ自分に、そんな行為など、無論必要なく。

いくつもの長い長い夜を、たった一人で過ごしてきた。
たった一人で、何度も星空を見上げた。
綺麗だと思うときもあれば、
そのあまりの広大さに、ただ、途方もない不安を感じることもあった。

眠れない身体だと、もし兄に言えば、
彼は「俺も眠らない」とか、むちゃくちゃなことを言うだろう。
だから、いままで伝えずにいた。
一人で全てを背負い込もうとする兄に、これ以上無理をしてほしくなかった。

「僕は、大丈夫だから」

多くの人が、言うように
たとえ、どれほど多くの孤独な夜があろうとも
朝は、やってくるはずだから。
どんな絶望に陥ったとしても
希望は、おとずれるはずだから

「だから」

どうか、どうか早く

その、必ずやって来る朝の光が、差し込んでくれるように。
その、必ず訪れる希望が、目の前に現れてくれるように。

ゆされない罪が、いつか赦されるように

愚かな、願いを。
儚い、願いを。

いくつもの夜を、独り、越えながら

ただ、ただ、祈るばかりで。

「アルフォンスは眠れない」という設定が公式で出る前に勝手な妄想で書いたものなので、若干齟齬があります。
もしエドがアルフォンスが眠れないことを知らなかったら、とても悲しい。 Insomniaとは不眠症のこと。