それぞれの倖せ

 学校祭が近いこともあってか、最近休み時間でさえ生徒会室にいることが多い。もちろん、メンバーがメンバーだから、無駄話で終わってしまうことも多いけれど。
 生徒会長ことプリンス由希……もとい、草摩由希は長机で各クラスが行う催し案に目を通していた。目の前では、自称「ブラック」がその提出書に涎をたらして居眠りをしている。
「仕事しないなら、来なければいいのに」
 どうせ昼休みだ。公たちが来ることも無い。
 なんでも、昼食くらいは親しい友人と一緒に過ごしたいらしい。ただ、真知の場合はすこし違う。ふらりと現れたりいなくなったりする。何故かは知らないし、本人が言わないならあえて聞かない。きっと彼女にも彼女の事情があるのだろう
「ふぅ」
 目頭を抑えて、由希は短いため息をつく。少し、目が疲れたのかもしれない。ただでさえ量が多いというのに肝心の仕事をしているのは由希だけ。しかも教室の蛍光灯が一本切れているので、他の教室よりも薄暗く感じられた。
 ふと、視線を外へと向ける。
「……」
 由希の瞳に「彼女」が映る。ひょんな事から同じ家で住んでいる「本田透」。彼女は、中庭で由希を除くいつもの面子と昼食をとっているようだった。彼女の隣には、当たり前のように不機嫌な顔をしたオレンジ頭が腰掛けている。また、魚谷達にからかわれているんだろう、と思った。
「あっれー。ゆんゆん何サボって外なんか見てんのぉ……って、あぁ。本田さん達か」
 目を覚ましたんだ、と由希は呟くと、少しばつが悪そうにまた視線を書類に落とした。が、反対に真鍋は外を見つめている。
「なんつーかさ、前も言ったけどさぁ……。あ!これ違うかんなっ。比べてるとか、そんなんじゃないからっ」
「わかったから、何が言いたいんだよ」 
 本当に、こいつとの会話は疲れるな。と思いながら由希は耳を傾ける。
「んとさ。キョーって奴さやっぱり倖せそうな顔してんなーって」

あぁ、そう。

……と、言えたら良いのに。と切実に思った。だがそれができるほど自分は器用ではないらしく、自分の瞳はぼぅっと「夾」を映していた。

十二支でもなく「外」でもなく

「猫憑き」という存在

「あいつは……本田さんと仲がいいから」
「ゆんゆんより?」
「あぁ」
 気づいている。そんなこと。彼女は、自分よりもあいつを好いているのだと。
 彼女自身でさえ気づいていないほどの微妙に違う「由希」と「夾」との接し方の違いが、それを示しているから。
「俺は……いっつも彼女にもたれかかってるばっかりだ。でも、あいつは……ちがう。夾は、俺とは違う。あいつは、救いになってる。本田さんが哀しいときや、泣いてるときに傍にいるのは、あいつだから。あいつは、俺と違って、もたれかかるばかりじゃない」
 たまに、夾が彼女を泣かせているのを見かける。何事かと思って飛び出しそうになることもあるが、実際は夾が彼女の「弱音」を聞いてることが多い。
「そういうの、俺は……できないから」
 いつも、弱いところを見せないで明るくあろうとする。辛いことも、哀しいことも、たくさんあるはずなのに、決して見せようとしない。
 いつも、他人のことばかりで。でも、彼にだけは「夾」にだけは自分の弱さを、悲しみを、不安を明かし、我侭を言う。
 たったそれだけの違いだけれど、やはりそれは確かな違い。
「前から思ってたんだけどさぁ。ゆんゆんって凄いコンプレックスの塊だよな。顔も頭も運動神経も良いくせして」
「それだけじゃないか。他に何のとりえも無いだろ」
「……それだけあれば、十分だと思うけどね」
 由希は答えず、次の書類に視線を移し変える。頬杖をついたまま外を長めていた翔は、不意に呆れたような声を出す。
「由希にとって、恋人とかってのは……何かを与えなくちゃいけない存在? いつもいつも、救ってなくちゃならない存在?」
 由希は、苦笑して答える。
「普通、そうだろ。倖せにする自身もないのに、哀しみもわかってあげられないのに……気持ちなんて、いえないだろ」
 その笑みは、ひどく儚げで美しく。それ以上に悲しみを帯びていた。一部のものしか知ることの無い、王子の悲哀を孕む表情。
 目を合わせないままの、静かな会話。時折、風に乗って聞こえてくる彼女の声を、愛しくさえ思った。
「じゃあ聞くけど、本田さんの倖せって、何だよ」
「……?」
「由希の思ってる倖せが、本田さんの倖せと一緒かどうかなんてわかんないだろ。なんでそーやって、決め付けちゃうわけ?」
 やれやれといつものふざけたノリで、翔は首と手を振った。
「倖せ……か」
 倖せというのはあまりに漠然としている。それが十二支の者ならば、なお更に。
 倖せな未来なんて、想像もできない。何も無い、くらく冷たい世界に生きてきたのだから。
 出ることなんて、できるだろうか「草摩」という檻から。しがらみから。抜け出ること、なんて。

「あ、由希君っ。お帰りなさい。遅かったですね」
 玄関を開け、「ただいま」という声に台所から少女の顔がのぞく。匂いからして、今日の夕飯はニラ玉だな、と思った。顔を青白くするネコの顔を想像して、少し可笑しかった。
「本田さんも、やるね」
 台所に立つ少女の手元を見て、笑った。やはりニラ玉だ。
「はい?」
「だって、ニラ」
 由希の発言に少女はフライパンの中で青々しく、それはおいしそうに光るニラを見つめ、しばしの沈黙。
 切り裂いたのは、悲鳴。
「ああああ”ぁぁぁ!! ど、どうしましょうっ。夾君はニラお嫌いで……っ」
 どうやら、彼女自身は忘れていたらしい。だが、そんな事実は関係ない。問題なのは夕飯は「ニラ玉」がメインディッシュだということ。
「へぇ、今夜の夕飯……ニラ……ねぇ」
「きょ、夾君……」
 台所の入り口に、少年は腕組をして立っていた。笑顔ではあるが額にはしっかりと青筋が浮き出ている。
「ま、死なない程度にがんばるんだな、夾」

 こんな、毎日の穏やかなやり取り。
 当たり前になってしまって。失う日が、いつかくるということすら……忘れてしまいそうで。

「由希君? どうかなされましたか?」
 夕食をとったあと、ニラ玉がのっていた皿をスポンジで洗いながら、少女は隣で手伝ってくれている由希を覗き込んだ。別に、これといっていつもと変わりは無いのだが。なんとなく、元気が無いような気がする。
「あ……べつに、たいしたことじゃないよ」
「そうですか? なら良いのですが」
「でも……一つ、聞いていい?」
「はい、どうぞ。構いませんよ」
 少女は手を止め、にこりと笑って答えた。

「本田さんの倖せって、何?」

「しあわせ、ですか?」
「うん。別に、絶対答えて欲しいわけじゃないから、答えてくれなくてもいいんだ」
 由希は、目を伏せて考え込む少女を見つめて言った。
「私は……そうですね。大切な人たちがそばにいてくれるのなら、それはとても倖せだと思います。私はお母さんが死んでしまって、それでも……今、こうやって笑うことができるようになったのは。皆さんが、いてくださるから。だから、一緒にいるという事は。とても……素敵だと思います」
 本当に、「今」を愛しく想っているように彼女は微笑みながらそう言った。
「一緒に……」
 昔は……それを一番、願っていた。大切な人と、いっしょに居たいと。
 とても簡単なことのはずなのに、昔はそれを叶えることができなくて。

かつて
母は自分を売り。
兄は、自由と引き換えに。救いを求めた小さな手を振り払った。

 一緒に、いたかった。

「由希君は、どうですか?」
 少女は、笑う。
「そう、だね。それは凄い……倖せだね」
 少年も、笑う。

 一緒に、いる。それはとても些細で。でも、確かにそれはこの上ない倖せ。

「俺も、一緒に……いたいな。本田さんと」
 王子はふわりと笑い、少女の柔らかな髪に触れる。
「はいっ。あ、ありがとうございます」
 顔を赤くして、少女は嬉しそうに笑む。

 手放しに、「一緒に居たい」と言えるような、そんな環境じゃないことはわかってる。
 でも、言わずにいられなかった。

「これからも、ずっとよろしくね。本田さん」

 ただ、ただ、愛しく。大切だから。
 彼女の倖せは、きっと自分の倖せだから。

悩んでぶつかって成長する由希君が好きです。かなり古い作品のリメイク。