つくもがみ

 日本がイギリスにやってくることになった。先日電話で話しているときに、日本が企業と一緒に西欧を巡るというので、帰りに立ち寄るよう約束を取り付けたのだ。
「おじゃまします」
 家にやってきた日本がぺこりと頭を下げる。日本式の礼儀にあわせてこちらも軽い会釈をし、おかえしにぽんぽんと背中を叩くようなハグをする。以前なら相手を突き飛ばしていたシャイな彼も、ようやくこのスタイルになれたらしく、イギリスの背に軽く手を回した。
「おそくなってすみません」
「ああ、ゆっくりしていってくれよ。飯は食ったか」
 日本の荷物を半分取って客間に案内すると、日本は「ええ」と頷いた。
「時刻も遅かったので、適当に買って食べてきました」
 荷物を置いて時計を見れば、もう夜9時を回っていた。シャワーは明日にしたいと言って、日本はネクタイを緩める。
「そうか。じゃあ寝る前に一緒に酒でも飲まないか」
「いいですね。先に荷物を片して着替えるので、ちょっと待っててください」
 日本が快諾してくれたことを素直に喜び、イギリスはドアを開けた。するといつの間に集まったのか、ドアの外に妖精たちが待ち構えていて、驚きに思わず声を上げてしまう。「どうかしましたか」と日本に心配され、「なんでもない」と苦笑してごまかすと、すばやく外に出て扉を閉めた。そして妖精の一人を軽く指ではじく。少女の姿をした妖精は額を押さえて、かわいらしく唇を尖らせた。
 彼女たちは、日本には見えない。独り言と思われるのは嫌なのでイギリスは声を抑えた。
「驚かすなよな、怪しまれるだろう」
 日本はアメリカやフランスのようにしょっちゅう遊びに来るわけではないのだが、それでも彼は妖精たちのお気に入りらしい。初めて日本がイギリスを訪れたときから、ずっとこんな感じだ。
 イギリスの文句を聞き入れず、妖精たちは矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
「日本、今日はどんな子連れてきた?」
「鞄? 靴? ハンカチ?」
 「どんな子」のあとに名詞が続くのにはわけがある。彼らが興味を寄せるのは、日本が連れてくる「かみさま」なのだ。
「ええと、気配はしたな。どれに宿ってるかは確認してない」
 イギリスがそう返事をすると、いっせいにブーイングが起き、皆残念そうな顔をした。

 日本じゃ、愛情を持って大切に使われた道具には命が宿るのだという。いわゆるアニミズムで、「かみさま」の一種らしい。

 日本の家には、そんなものがそこかしこに存在していた。姿はなくとも物の中に命の気配があるのだ。年季のあるものほど、そして愛着の強いものほど、それは濃くなる。場合によっては言葉のように思念を送ってくる。
 ひょっとすると、もっと長い時間が経てば形を結ぶのかもしれない。
 日本自身は妖精の類を見ることはできないのだが、好かれる体質らしい。よく「かみさま」を引っ付けたままの道具を持ってくる。この前の夏に来たときは、扇子だった。さっきハグをしたときも、それらしい気配はあった。
 東洋の仲間なんて見たことがない我が家の妖精は、どうにも会いたいらしいのだ。

「見てきてよー」
「そうだよー」
「イギリスが見ないなら、私たちがさがすからー」

 口々に言われて、イギリスはため息をひとつ。
「しかたねえなあ……。にほーん、着替えたか?」
 コンコンとノックしながら声をかけると、「もういいですよ」と返事が返ってくる。ノブを回しドアを開けると、妖精たちがぴったりとイギリスの背にへばりついて一緒に部屋の中へ入り込んだ。
「シャツ畳んじゃいますから、もうちょっと待ってください」
 ベッドの横には開いたキャリーバッグがおいてあり、日本が見えないのをいいことに、妖精たちは早速わいわいと荷物を見回っている。
 日本といえばスーツから寝巻きに着替え、ベッドに腰掛けたまま自分の脱いだシャツをたたんでいる。そして枕もとの小さい卓にははずされたネクタイがおいてあった。そのネクタイには、見覚えのあるた金のピンが付いている。
 それを見て、イギリスは言葉を失った。

 気配がしたのだ。それも、鮮やかでとてもやさしい。
 持ち主に大切に愛されていることが、すぐにわかるような。

(その、ネクタイピンは)

 めまいがするかと思った。
 それでいて、くすぐったいような恥ずかしいような気持ちになる。

 まさか、かつて自分があげた贈り物に、例の「かみさま」がやどっているなんて。

 それは、同盟を結んだころにイギリスが日本に贈ったものだ。それなりに値の張るものだったが、洋装に慣れない彼の背を押すつもりで贈ったのだ。
 あれから百年以上も経っていて、いくら金とはいえ普通ならばもう壊れているはずなのに、いまでも輝きをもって使われているとは。
 気配に気づいた妖精たちがしきりにピンに声をかけている。それに対して、優しい気配が呼応した。
 「こんにちは」「はじめまして」そんな挨拶が聞こえてくる。
 そしてイギリスに対しては「ひさしぶり。会いたかった」と。

(ああ、どうしよう)

 ここでにやけたら、きっと怪しまれる。日本には何も聞こえていないのだから。
 イギリスは緩みそうになる口元を手で覆い隠す。目もあわせられない。

(すげーうれしい。かも)

 この友人はずっと、自分との友情を大切にしてくれていたらしい。たぶん、大戦で距離も立場も離れてしまっていたそのときも。
 彼本人は何も言わないけれど、「かみさま」が宿るのは、持ち主がひときわ愛情を寄せた道具だというからには――――

(これじゃ「大好きです」って告白されてるみたいだ)

 そう思うと、顔が熱くなった。

 ふたりは別に付き合ってるわけではなく、カップリングと言うよりは、友情。もしくは限りなく友情に近い恋。