竜の花嫁

竜の花嫁

[ あなたのとなり ]

 子供ができたと知って、うれしかった。それは、エドヴァルドも同じであったはず。なのに、子を身に宿していくらか日が経つと、エドヴァルドには憂うようなため息が増えていた。不審に思って問い詰めれば、「子供を成したことで、ティアナを永遠に縛り付けてしまうのが怖い」とエドヴァルドが言う。波のように押し寄せたはずの喜びであったのに、いったい何を言い出すのだろうか。
「こども、うれしくないの?」
 平生の声で穏やかに尋ねた。体格差の問題でどうしてもティアナはエドヴァルドを見上げる形になるのだが、首を横に振ってこちらを伺う彼の瞳は不安に揺れている。
「……自分でも驚くほどに、うれしいんだ。だから、怖い。君が居ないと私はもう自分でいられないだろう。いとしいものや大切なものが増えれば増えるほど、私は、愚かになる」
 この図体の大きなドラゴンは、見た目とは似つきもしない繊細な心を持っているようで、ティアナはほとほとあきれた。

 あぁ、ばかだ。大ばか者。エドヴァルドは、まだ、ぜんぜんわかっていない。ぜんぜん。

 彼の優しさに、言葉に、まなざしに、すべての態度にティアナは溺れた。人とドラゴンの間にある大きな溝に彼は悩んでいたけれど、ティアナはどれほど自分が彼を必要としているかを伝えてきた。それでも、と言い募る彼の不安を拭い去ろうと優しい言葉もかけた。何度も愛しているといった。何度も抱きしめた。
 もしかしたらエドヴァルドはティアナを限りなく優しい娘だと思っているのかもしれない。しかしそれは、違う。ティアナがエドヴァルドに注いだのは、無償の愛などではない。
 もちろんその言葉や態度に一切の嘘も迷いも無かったけれど、どれもこれも、突き詰めていくと、彼のためじゃない。
 ティアナは至極まじめな顔で言う。

「子供はここにいるのよ。責任をとってもらうわ、エド」

 普段よりも幾分か硬質な声に、エドヴァルドは息をのんだ。ティアナの言葉の真意を測りかねている様子でもある。
 いつもならば、「愛しているから大丈夫よ」と言ってあげていた。もしかしたら、彼もその類の言葉を望んでいるのかもしれない。でも今はだめだ。今はもうその時じゃない。
「覚悟を決めて、エドヴァルド」
 恋人ごっこは、もう終わり。

「貴方の永遠を、私に頂戴」

 貪欲で愚かなのは、エドヴァルドじゃない。いつだって自分のほうだ。もう、ずっと前から、彼なしではだめになっている。子供にしたって、二人を結びつける確固たるものができたのだと、歓喜した。
「貴方は私を縛り付けるというけど、縛り付けられるのは貴方のほうよ。でも私はエドみたいに優しくないから、逃げ道なんて用意してあげられないわ」
 恋人になるときも、結婚するときも、そして子ができた今も、かれは「いいのか」と何度も何度も問いかけてくれる。それは彼が用意してくれた優しい細い細い逃げ道。きっと、ティアナが拒絶すれば、彼は身を引いてその道を譲ってくれただろう。でも、ティアナにはそれが出来ない。
「このお腹の子は、あなたの子よ。あなたは父親になるの」
 脅しにも近い言葉だとは承知の上。お腹の子をエドヴァルドを縛り付けるための鎖にしているのも、わかっている。でも、ティアナがいくらエドヴァルドに愛していると言ったって、いくらティアナが自分を彼に差し出したって、彼は結局悩むだろう。とてもとても優しいから。だけどもう、それでは未来が無い。

 生まれてくるこの子は、人と魔の間に生まれ、いずれこの国の冠を頂くだろう。

 この子が背負わされる重責は、全て自分のわがままのかたまりだ。ティアナは魔獣の王に恋をし、彼を欲した。禁忌と知りながら、彼と自分を結びつける子供を宿したことに歓喜した。それでももう、手放せない。目の前の彼も、おなかの子供も。だから、せめて、この子にふりかかる災厄は全て自分が引き受けなければならない。
 エドヴァルドに自信が無いのなら、私がすべてもらおう。この優しい彼の不安は全て、私が引き受けよう。そのかわり、彼の永遠に等しい時間は、全部、私の隣に。

「あなたも、この子も、幸せにするわ。だからおねがい。貴方の未来、私に頂戴」

 全てを言い終えた瞬間、エドヴァルドの不器用な腕と長い尾が伸びてきてティアナを抱き寄せた。
耳元でエドヴァルドが小さなため息をこぼす。
「不安にさせて、悪かった。私は、……父親になるのだな。君がもう母親の強さを持つように」
 大きなつめが、そっと、ティアナを傷つけないように頬をなでた。そのまなざしにあるのは不安ではなくて、深く優しい漆黒。
「後悔するなよ、ティアナ。もう、なにがあろうと離せないからな」
 幸せそうに、エドヴァルドが目を細めた。それを見てようやく、ティアナの顔にも笑みが浮かぶ。
「じゃあ、離さないで。離したら、怒るわ」
 おどけたように言うと、エドヴァルドが何か思い出したのか、ふ、と笑って顔をそらす。
「エド?」

「あんな熱い告白、私はされたことが無い。……顔から火が出そうだった」

「え?」
 思いがけない言葉にティアナはきょとんとした。愛しているの一言も言った覚えは無いのに。
 言葉の意味をつかめないティアナに、彼はその大きな顔をそっと擦り寄せる。

「結局、私の人生も、心も、全部お前のものだということだ」


[10:もう、君が居ないといられない]
お題完結です。長く時間がかかってしまいましたが、一つの区切りです。
たぶんこのふたりは、ずっとこうやって同じことで悩んで、やっぱりそのたびに同じ様な結論出して、ふたりの世界でしばらく生きていくのだと思います。
世界が広がるのは、子供が生まれてから。
それまでいちゃいちゃらぶらぶしてればいいじゃないか。

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