竜の花嫁

竜の花嫁

[ 答えはいつもここに ]

 今日は石の月、第三週の二日目。その日は毎月城下の町でパンの大安売りらしい。ティアナは朝一番に財布を握り締めて出かけてしまった。一人城に残されたエドヴァルドは、嬉々として、それでいて闘志をみなぎらせて出かけていった愛しい娘を思い出し、微笑みながら城下を見下ろした。
 パンなど城で焼けばいいものを、と言ったら『自分で勝ち得たものを食べるのに意義があるのよ!』といわれてしまった。人のいないの土地で、彼女には肩身の狭い思いをさせていると感じていたが、どうやら彼女は彼女なりにこの土地とこの土地の者たちを気に入ってくれているらしい。
 そんなとりとめもないことを考えていたためか、エドヴァルドにしては珍しく、背後の気配に気付けないでいた。彼の背後をそろりそろりと近づいてきた者は、彼の逞しい尾を前にして、一人の人間としてはありえないほどの大声を張り上げた。

「やっほー!!」

 実は、大声を張り上げるまでの過程で何度もこのドラゴンの名を呼びつづけていたのだが、恋するドラゴンは微塵も気付いてはくれなかったのである。
 当のエドヴァルドは肩を大きく震わせて、ようやく背後を振り返った。この巨体がどぎまぎしているのを見るとは、なんとも滑稽で笑ってしまう。
「や、エドヴァルド」
 声の主を足元に発見して竜王は目を白黒とさせた。
「……ガ、ガーネ? 何で人型で……。どうしてここに?どうやって」
「あー、一度にたくさん聞かないでくれる? その質問にはちゃんと答えるからさ」
 苦笑を交えつつ、ガーネと呼ばれた者が答えた。
「ま、ここじゃなんだから、客間にでも通してくれるかい? 王様」
 いたずらっぽくニシシ、とガーネが笑い、王様と呼ばれたドラゴンは苦笑する。
「まったく……お前の尊大さはちっとも変わらないな」
「お互い様でしょ。エドヴァルドのその堅苦しさも懐かしいね」

 客間に通されたガーネは、巨大な繭玉にもたれ掛かってクスクスと笑った。そして神殿を思わせるその建物にガーネの笑い声が響いた。
「いやぁ、人型だと世界が違って見えるねぇ。繭玉がこんなにでかいだなんて」
 ドラゴンの世界には、当たり前だが椅子というものが存在しない。代わりにあるのが、下に敷いて座るための『繭玉』というものだ。人間の育てる蚕よりも数十倍は大きな蚕が紡ぎだす代物で、無論安くはない。
「そんなことはどうでもいい。どうしてここへ? お前とて暇ではあるまい」
「そんなの、面白い噂を聞いちゃったんだからしょうがないでしょ。こりゃ、抜け出して見に行かなきゃね、と思ったわけさ。流石に近くまでは竜の姿で来たけど、やっぱり竜じゃ目立つし、最近この城、人間の出入りが多くて見張りが甘いって聞いたから俺もそれにあやかったんだ」
「……次期族長がそんなのでいいのか」
「いーのいーの。古株は皆頭が固くて困るね。抜け出すのにも一苦労だよ。で、その噂って言うのがさ」
 もったいぶるように、少し間を置いて、次の瞬間ガーネが声高らかに叫ぶ。

「エドヴァルドが、人間と暮らしてるって! それ、ホント?」

 人の口に戸は立てられぬと言うれど、この伝達の速さは一体なぜだろう。エドヴァルドは少々頭が痛かった。

「彼女はただの人質だ。お前たちが浮かれ立つような関係じゃない」
「あっれー。俺はただ『人間と暮らしてる』ことに驚いただけなんだけなんだけどなあ。別にお前たちが恋仲かどうかなんて疑っちゃいないし?」

『……はめられた』

「で、実際のところどーなのさ? まさか、ほんと?」
 昔から、ガーネは誘導尋問が上手いと思う。彼には隠し事をすることができない。エドヴァルドは観念したかのように、人型に化けた友人に口を開いた。

「馬鹿だと思われるかもしれないが……、そのまさかだ」

 言葉にしてみて、その事実がゆっくりと体全体に浸透してゆく。
 他のどの種族からも恐れられたこの風体を、彼女は恐れることなく見てくれる。優しく微笑んでくれる。気付いたら、自分の中はあの少女だらけだ。いつも、考えている。
 これを、恋といわずして何という。もう何百年も生きてきたが、この結論にたどり着くのにどれだけ苦労したことか。

『愚かで弱い生き物』それが人間を除く世界においての、人間への認識。

 だけれど、いざ目にした少女は違った。確かに体力などにおいてなら、彼女は格段にか弱いかもしれない。しかしそれすらも見えなくなるほどの、生命の輝きを、彼女に見つけた。嬉しいときはこちらまで楽しくなるくらい笑い、誰かの悲しみを自分のもののように感じて涙し、姫と言われ籠の中で育ってきたのかと思えば、今日のように自らが動くことにまるで抵抗がない。

「……意外すぎて、全てが新鮮で、気付けば彼女を見ていた。人質であるはずなのに、こちらを恨むこともなく、笑っていてくれる。彼女が名を呼んでくれる度に、その名前すら、特別なもののように感じた」

 こんな感情を知らない。誰かの行動に一喜一憂してしまうような、心苦しく甘い感情を、いままでこんなにも強く感じたことがない。

「ほんとうに、馬鹿みたいだろう? ……あの子は、人間なのに」

 静かな水面に垂れる水滴のように、エドヴァルドの言葉が静寂に響く。そして、神妙な顔をしたドラゴンに向かってガーネは微笑んだ。
「馬鹿なんかじゃないよ。どうせお前のことだ。……散々、悩んだんだろう? それで、その答えに行き着いたなら胸を張りなよ」
 その言葉に、エドヴァルドが静かに首を振った。
「そんなこと、とてもじゃないができない」
 拒絶されるのが怖い。この想いに気付かれたら、今までどおりの関係でいられなくなるかもしれない。もう、笑いかけてくれなくなるかもしれない。そんなの、耐えられない。
「……傷つけたくない」
 せっかく、自分を好いていてくれる彼女を、裏切りたくない。
 だが、ガーネはエドヴァルドを見据えて静かに言い放つ。
「ちがう、お前は『傷つきたくない』んだろ?
 お前はお前を守りたいだけだ。居心地のいい今の関係に、執着してる。進むことで傷つくのを怖がってる」
 目がそらせない。人型になっても尚、ガーネがもつその瞳の鋭さは陰りを見せることがない。
「今すぐに動けとは言わない。だけど、いつまでもこのままでいいとは思ってほしくない。
 ……俺ね、嬉しいんだ。お前が誰かを好きになってくれて。いままでずっと他人に興味を持たなかったのに、こうやって、当たり前のことで当たり前に悩んでるお前がここにいて。だから、逃げないで欲しい。恋はいつだって罪悪なんだよ。何かを傷つけずには進めない。みんな、傷ついてる。お前だけじゃないんだ」

 ガーネはそう言うと、人型の背に小さな竜の翼を広げた。そして助走よろしく何度かその場でバタバタと羽ばたいて、ゆっくりと宙に昇った。

「さ、今度会いにくるときは、是非ともその姫さんにも会いたいね」

「もう行くのか?」

 まだ、話したい事がたくさんあるのに。

 そんなエドヴァルドの心を見透かすように、ガーネは笑った。
「答えはもうとっくの昔にお前ン中にあるんだろ。行動するのはお前だよ。俺はお前の背を押すこともできやしない。俺にできるのは、お前の中の事実を明るみに引きずり出すことくらいだ」

「だから、そんなに自信がないお前に、最後のプレゼント」

『――彼女が好きか?』

 いたずらっぽく笑うガーネに、エドヴァルドは観念したかのように微笑み、
 そして、確かな声音で、自分の中の真実を解き放った

<了>
おそらく勇者(アレックス)登場のほぼ同時期(もしくはちょっと前)。エドヴァルドはこの頃にはもうティアナに惚れていたっていうお話でした。ティアナもエドヴァルドが好きなんだけど、彼女はまだ自覚ナシ。
一応この頃からエドヴァルドはそれとな〜くアタックしていると思われます。気付かれない程度に(笑)
ガーネさんはまた色々設定があるのですが、詳しくは別の機会に。

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