【君で変わっていく十のお題】 喜びの熱

 ティアナが泣いている。声もなく、音もなく、ただ頬を伝う透明なしずく。エドヴァルドはいつもそこから眼が離せない。
 ティアナはよく泣く。エドヴァルドの眼だって、乾いたりしないように水分で潤す機能は備えている。しかしながら、ドラゴンの心身の性質上、感情の起伏による涙は存在しない。だから彼女に泣かれると、彼はとても困る。
 彼女の涙腺は一体どうなっているんだろうか、と思ったことがある。悲しくても泣くし、寂しくても泣く。
 涙を流すということが感情の発露であることはわかるのだ。強く、強く、何かを感じているのだろう。だが、喜怒哀楽のどれなのか、それどころかどれともつかない感情で泣いているのか、わからなくて、一瞬迷う。
 彼女の眼を、唇を、頬の色を見る。そして声音を確かめる。そうして、差し伸べるべき手の方向を慎重に吟味する。
 悲しみの涙ならば、その涙をぬぐってやろう。寂しいのなら抱きしめてあげたい。
 人間の男ならば、それを一瞬でやってのけることが出来るのに、エドヴァルドにはそれがむずかしい。自分が泣くことが出来ないのだから、心の底からティアナを気遣っているつもりでも、理解しきれていないのではないかと、常に不安と苛立ちが混在する。
 ティアナの異変に気づくのは、いつも自分が一番でありたい。彼女の心情を正確に汲み取る役目は、いつも自分でありたい。

「何か、あったのか」

 そうエドヴァルドが声をかけると、ティアナは伏せていた顔を上げてぽろぽろと涙を流し続けた。
「ど、どうしよう、エドヴァルド」
困ったように、あせったように、自分の感情を整理しきれていないティアナがそこにいる。一大事かと思うが、彼女の瞳に絶望の色はない。では一体なぜ涙が。その涙の原因とやらがエドヴァルドにはさっぱりわからなかった。
「あ、あのね、そのね、もしかしたら気のせいかもしれないの」
ティアナの頬は赤く染まり、彼女は必死に言葉を捜している。
「落ち着け、どうした。なにか、哀しいことでもあったのか」
不安になって、彼女の肩に手をそえて覗き込むが、彼女は頭を振るばかりだ。
「朝、起きてみたら、いつもとちがったの」
ティアナはきゅっとエドヴァルドにしがみついたが、その眼からこぼれる涙は止まらない。しかし、なぜか眉尻は下がっていて、口元も緩んでいる。
「感じるの」
ぽろり、と涙と同時に言葉が滑り落ちた。

「こどもが、いるの」

 朝起きると、ティアナはなぜだか泣いていた。
 悲しみなどでは無い。

 わからないけれど、わかった。
 自分の中にある暖かい陽だまりの存在を、確かに感じた。

「本当、か」
エドヴァルドの声が震えた。そして、傷つけないように、そっとティアナの下腹部に手を添える。わずかな、ともすればかき消されそう魔の力が、そこにある。
「本当よ」
「あぁ、あぁ」
確かめるように、何度も、何度もうなずいた。思わず心臓が熱くなる。この感情を、どう表せばいいのか、エドヴァルドにはわからない。
「エドヴァルド、あなた、泣いてるわ」
そんな彼の様子を見てティアナは笑った。
「見えないだけで、あなた、私とおんなじ。泣いてるわ」
 この熱さを、人間は泣くときに感じているのだろうか。熱くて、胸に詰まって、どこにもいけなくて、どうしようもなくて、たまらなくて、あふれ出てしまう。

「覚えていて、エドヴァルド。涙って、うれしくたって出るの。うれし泣きって、こういう気持ちなの。だから今は心配よりも、ねぇ」

胸の中にいる少女の満面の笑み。そのまなじりにそえられたしずくが、うつくしい。
「ねぇ、キスを頂戴」

エドヴァルドはそっと、そこに口を寄せた。

[09:涙を流せるということ]



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